日本の集団的自衛権行使の容認をめぐる議論についての私見

慶應義塾大学経済学部  
延近  充
2012年末に安倍晋三自民党政権が成立して以来,アベノミク スと称される経済政策が実行され,株価の上昇,円安の進行による輸出産業の経営状態の好転,それまでのデフレ傾向から物価の上昇傾向への反転などがみられた。2013年7月に行 なわれた参議院選挙では自民党と公明党が大勝し,2007年の参議院選挙以来の衆参両院で多数派政党が異なるという「ねじれ現象」が解消した。こうした数の力を背景として,安倍政権は,それまでの政権が違憲としてきた集団的自衛権の行使を容認する方向で見直そうとしている。
この見直しの中心的な存在が,第1次安倍政権の2007年に設置され,安倍首相辞任ののちに休止,第2次安部政権で再開された安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)である。安保法制懇座長代理の北岡伸一氏が,集団的自衛権の行使を容認すべきだとする論理は,朝日新聞2014年3月16日付のインタビュー記事によれば,次のようなものである。
憲法第9条は一切の軍備を認めていないという憲法制定過程での吉田首相の答弁が「国際情勢や米国の要請を受けて,必要最小限度の自衛力はもてるという風に変わった」解釈変更に比べれば,集団的自衛権の行使を認めるという解釈変更は小さい。

自衛力を必要最小限度の範囲にとどめていれば,近年の北朝鮮のミサイルの脅威の高まりや中国の急速な軍拡という変化に対応できない。集団的自衛権の行使を認め,米国などとの友好国との関係を強化すれば,「脅威に対する抑止力が生まれ,日本が攻撃される可能性は減る」。

ただし,「行使にあたっては,密接な関係がある国が攻撃を受け,放置すれば日本の安全に大きな影響があり,攻撃された国から明らかな要請があった場合に限ると定義する」。
「仮に米国が日本に集団的自衛権の行使を要請したとしても,時の政権が国民の納得を得られないと判断すれば,やらないだろう。『米国の戦争に巻き込まれる』と言う人もいるが,国民の世論が最大の歯止めになる」。
この北岡氏の論理の最大の問題点は,集団的自衛権の行使容認の理由として抑止力論に基盤を置きながら,行使を容認しても実際に行使するかどうかは日本側の判断だけで決められると考え,行使容認の決定自体がもたらす影響を無視していることである。
抑止力論が有効性を持ちうるのは,A国がB国を攻撃しようとする場合,A国がB国からの反撃によって被る損害と,攻撃によって得られる利益とを冷静に比較考量し,損害の方がより大きいと予想して攻撃を断念するという合理的行動をとる場合である。

集団的自衛権の行使がA国の攻撃に対する抑止力を高めるのは,B国への攻撃がB国の同盟国C,D・・・の集団的自衛権行使による反撃も誘発し,A国の損害をより大きくするとA国が予想する場合である。この場合,B国がA国からの攻撃の抑止のために単独で反撃能力を強化するよりも,効率的にA国のB国に対する攻撃のハードルが高くできるわけである。

北岡氏が日本の集団的自衛権行使の容認が抑止力となると言う意味はこれであろう。

しかし,ある時点ではA国が攻撃を断念したとしても,その時点以降もA国が攻撃を断念し続けるかどうかは別問題である。抑止が有効であるためには,A国の攻撃によって,A国の得られる利益<A国の被る損害,という不等式が継続するのが条件であるから,A国はこの不等式を逆転させるために,攻撃能力を強化しB国の反撃能力を減衰させるための行動をとる可能性がある。

この行動にはさまざまな可能性がありうる。純粋に物理的な軍事攻撃力を強化する以外にも,奇襲攻撃によって相手の反撃能力を先に破壊しておく戦術や,相手の政治・経済の中枢部への大規模奇襲攻撃によって反撃能力の行使を困難にする戦術,原子力発電所への攻撃のように攻撃自体は小規模でも,その副次的被害が甚大となるような戦術などである。

このような考えうるA国の行動に対して,不等式の逆転を防ぎ,抑止を確実で有効なものとして持続させるためには,B国も反撃能力を強化していく必要がある。さらには,反撃ではなく,A国から実際に攻撃が実行される前に,あるいはA国が不等式の逆転に成功する前に,A国の攻撃能力を破壊しておくという予防攻撃への誘惑も高まるだろう。

A,B両国のこうした行動は何をもたらすか?
際限のない軍拡競争であり,偶発的戦争の危険性の増大である。そして冷戦下で米ソがとった行動が,まさにこれなのであり,抑止力理論・戦略の帰結なのである。
以上は,A国とB国の2国間の問題として論じたが,集団的自衛権を考慮しても,AB両国間の問題としては基本的に同様である。違うのは,B国との集団的自衛権行使の可能性のある同盟国C,D・・・である。A国がB国を攻撃しようとする場合,あるいはB国から予防攻撃を受けると予想した場合,A国はどのような行動をとるか。もちろんC,D・・・国が集団的自衛権を行使してA国への攻撃を開始する前に,これらの国への攻撃も実行するだろう。
これは,A国がどのように判断するかに関っており,C,D・・・国が実際に集団的自衛権を行使するかどうか,その意思があるかどうかとは無関係である。
また,C,D・・・国がB国の行動を支持または容認しているかどうかも無関係である。A国にとっては,C,D・・・国が集団的自衛権によってB国と同様の行動をとる可能性があるということこそが問題なのであるから。
つまり,日本が憲法解釈を変更して,アメリカとの集団的自衛権の行使を容認することを決定した時点で,アメリカの(潜在的)敵対国は,日本はアメリカの軍事力と一体化したと受け取り,上記のC,D・・・国と同じように,日本が当事国でない場合にも日本の意思に関わらず,アメリカの敵対国から攻撃を受ける危険性,「戦争に巻き込まれる」ことを覚悟しなければならなくなるのである。
これは,敵対国がどう判断するかであるから,北岡氏が言う「国民の世論」は無関係で,何の歯止めにもならないのである。
日本の集団的自衛権の行使を容認するかどうかについての現在の議論では,私が知るかぎり,賛成派も反対派も,日本が集団的自衛権を行使して他国を攻撃することの是非についてが主たる論点となっている。日本が憲法解釈を変更して行使を容認した場合,相手国がどのように判断して行動するか,それを解釈を変更しない場合と比較して議論されていないように思われる。
例外的に,日本が当事国でない軍事衝突が起こった際に,日本が戦争に巻き込まれる可能性が指摘される場合でも,日本が集団的自衛権を行使すれば相手国にとって敵国となり攻撃対象になるという趣旨である(前出の朝日新聞の豊下楢彦元関西学院大学教授のインタビュー記事)。
本稿で述べた,集団的自衛権行使の容認自体が,相手国にとっては敵国と一体化しているとみなされうる危険性については論じていない。
さらに,冷戦終結以降に顕著となった非国家勢力との戦争,「対テロ戦争」においては,個別的自衛権であろうが集団的自衛権であろうが,抑止力論自体が成立しない問題もある。
集団的自衛権が国際法上認められていることを強調すればするほど, アルカイダなどのイスラム武装勢力のテロ攻撃も合法となる可能性がある。パレスチナにおけるイスラエルの軍事行動や欧米諸国によるアフガニスタン・イラク攻撃は,彼らにとっては自らへの攻撃とみなして集団的自衛権を発動していると解釈可能であるからである。
実際,アメリカとともにイラク攻撃を主導したイギリスとスペインに対するテロ攻撃事件が発生している。

スペイン・マドリードでの列車爆破事件(04.3.11):死者191人,負傷者2000人以上。
事件後に「アブー・ハフス・アル=マスリー殉教旅団」と称するイスラム過激派系組織が,「死の部隊が欧州の深部に浸透し,十字軍の柱の一つであるスペインを攻撃し痛打を与えることに成功した」,「アスナール(スペイン首相)よ,アメリカはどこだ?だれがお前を我々から守ってくれるのか?イギリス,日本,イタリア,その他の協力者か?」という犯行声明を出した。CIAもアルカイダ系武装勢力の犯行と断定している。
スペインはこの事件直後の04年5月にイラクから撤退している。

イギリス・ロンドンでの同時多発テロ事件(05.7.7):死者56人,負傷者700人
地下鉄3か所と2階建てバスでの自爆攻撃。9月1日に実行者のテロ予告ビデオが中東の衛星テレビ局アルジャジーラに送付され,アルカイダもテロへの関与を認めている。

日本についても,2003年10月18日,アルジャジーラがオサマ・ビンラーデンの声明(CIAが本人の声と確認)を放送,日本など6ヵ国に対し,米国への協力を続ければ攻撃の標的になり得ると警告している。
14年報告書は「テロが蔓延し,我が国を含む国際社会全体への無差別な攻撃が行われる恐れがあり」と主張するが,イスラム原理主義勢力の「テロ」攻撃は「無差別」ではないし,そもそも「テロ」を拡大したのは,個別的・集団的自衛権を根拠としたアフガニスタン攻撃・ブッシュ戦略によるイラク攻撃である(遡ればオサマ・ビンラーデンが反米に転じるきっかけとなったといわれる湾岸戦争)。(この部分は14年6月9日に追記)
結論:集団的自衛権行使容認で日本国民の安全保障はむしろ危うくなる!
(a) 集団的自衛権行使を容認してもアメリカは自らの国益にかなう場合しか武力を行使しない。
(ex.湾岸戦争後,アメリカはクルド人の反フセイン蜂起を推奨しながら武力支援せず,フセイン政権によって鎮圧・大量虐殺が行なわれた。)
このことを相手国も認識しているから,軍事行動を起こしてもアメリカの武力行使による損失>国益の範囲内であり,アメリカは軍事介入しないと相手国が判断すれば,軍事行動を実行する。だから容認しても抑止力が強化されるわけではない。
(b) 逆にアメリカが自らの国益にかなうと判断した場合は,国連決議や国際的合意なしに武力行使をする。
(ex.ベトナム介入,イラク攻撃)
攻撃された相手国は日本もアメリカの武力行使と一体化すると予想し日本も報復攻撃対象となる。
(c)容認によってアメリカの戦争への日本の参戦・協力を拒否することが困難になる。
∴ 集団的自衛権行使を容認することで日本の安全保障が強化されるより危険性が増す。
さらに,集団的自衛権を行使して海外派兵すれば,自衛隊員が犠牲になるだけでなく,相手国の非戦闘員を殺害する=加害者になる可能性が生じる。相手国民に憎悪と報復の感情を生じさせる。9.11同時多発テロや上記のスペイン,イギリスの例のように,日本もテロ攻撃の対象となる危険性が増大する。
*信頼醸成措置・外交努力・人的文化的交流こそが抑止力!
河野談話の検証,靖国参拝などはこれら総合的な抑止力とは逆方向の政策→近隣諸国との関係を悪化させ,抑止力を弱めた。
この問題について,戦後の日本の再軍備・憲法解釈の変更とアメリカの冷戦・軍事戦略との関係,その冷戦終結後の変化などを含めた私の見解を近日中に公開する予定である。
2014年3月27日 未完
この問題についての私の見解の一部が,週刊プレイボーイ誌6月9日発売号にインタビュー記事として掲載されます(2014年6月8日)。
週刊プレイボーイ誌の記事のうち,「アフガニスタン攻撃での各国死者数と派遣人数」の表に誤りがありました。表に示されている各国の派遣人数は2014年4月1日時点の人数ですが,合計の130,386人というのは14年1月9日時点の人数です。4月時点での合計人数は52,091人です。インタビューの際にいろいろなデータを提供したのですが,編集者が表を作成される際に取り違えがあったようです(2014年6月9日)。
論文ドラフト:日本の集団的自衛権行使の容認に関する議論について(PDFファイル)
第1節 冷戦期の憲法解釈の変化とアメリカの冷戦・軍事戦略

第2節 冷戦終結後のアメリカの国家安全保障戦略と日米安保体制の再定義

この「日本の集団的自衛権行使の容認に関する議論について」は大幅に加筆・修正して,
『対テロ戦争の政治経済学』の一部として2018年3月末に明石書店から出版しました。
本書の構成はこちらをご覧ください

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