スタディガイド マクロ経済学     白井義昌

はじめに

新聞やテレビなどで毎日伝えられる経済ニュースを見聞きし、「いったいそれらは何なんだろう?」とか、「じゃあどうしたらいいんだろう?」と疑問や不思議に思うことが多々あるのではないでしょうか。そして、当然皆さんはそれらについてわかりたいなとか、それらについての自分の意見を言えるようにしたいなどと漠然と思っているのではないでしょうか?経済学を学ぶうえで最も重要なことは普段観察される経済現象について「どうしてそうなるのだろうか?」という疑問を持つこと、そしてその疑問について冷静に深くと考えることにあります。冷静な考察ぬきで経済問題を議論したり、政策提言を行ったりすると必ず誤解や混乱をまねき、それらがひとつも生産的なものにならない危険が大きくなります。また、深い考察ぬきでは、社会によしと考えてとった政策が思わぬ災いをもたらすことにもなりかねません。経済学に限ったことではありませんが、「なぜだろう?」という疑問を常に持ちつづけること、そしてそれらの疑問を客観的に整理しながら、着実に考察することが学問の基本です。

1.マクロ経済学の課題

では、本題に入りましょう。マクロ経済学では主に次のような経済指標について考察することになります。
(1)一国の総生産またはその成長率
(2)失業率
(3)物価上昇(インフレ)率
これらの経済指標は政府当局の関係省庁や、様々な民間経済研究機関によって調査され随時公表されています。いずれも一国の経済状況を把握するうえでの重要な経済指標です。これら経済指標はそれぞれ一国の経済について何を表していることになるのでしょうか?

第一の経済指標、国内総生産は国内で一年間にどれだけの生産物やサービスが新たに生み出されたかを表す指標です。これは一国の経済活動の成果を計る指標といえるでしょう。国内総生産が大きければ大きいほど、国内全体でその一年間に消費することのできる財、サービスの量は大きいことになりますし、また将来一層生産活動を拡大するための準備となる投資を大きくすることもできます。逆に言えば、国内で一年間に消費された財、サービスや投資にまわされた財、サービスが大きいほど、国内総生産は大きいとも言えます。国内総生産が拡大しつつある局面を好景気と言い、停滞している状況を不況と言うことは皆さんの良く知るところでしょう。また、国内総生産の前年度からの変化率を経済成長率と呼びますが、この値が高いほど景気は良いということもわかるでしょう。1990年代の日本は長い不況に悩まされています。どのように不況から脱却することができるか、ということを考えるためには、そもそも国内総生産はどのように決まっているのか、またその成長の仕組みはどのようなものなのか、という基本的な疑問について考察せねばなりません。これはマクロ経済学の最も主要な課題です。

第二の経済指標、失業率は働きたいと考えている人々と働いている人々のうち、実際に職にありついていない人々の割合を示す指標です。この経済指標は先に述べた国内総生産と密接に関係があります。好況であるときには生産活動は活発であり、失業率は低くなります。逆に不況であれば、失業率は高くなります。1960年代の日本の失業率は平均で1%、1980年代は約2.4%でしたが、1998年には4.1%と急増しています。4.1%といってもピンとこない人もいるでしょうが、これは日本で百数十万人の人が職探しをしているが職にありついていないという状況です。日本では、ここ40年でこのような状況を経験したことがありません。失業率の水準や動きについての考察も国内総生産の変化と対になったマクロ経済学の大きな課題です。

第三の経済指標、物価上昇率は国内の様々な財、サービスの価格が前年にくらべ何パーセント上昇したかを表す指標です。これがプラスの値であればインフレ、マイナスであればデフレと呼ばれる状況であることを示します。インフレであれば1万円で購入可能な財、サービスの量、すなわち貨幣の購買力は少なくなっていることになります(デフレならば逆)。ほとんどあらゆる取引には貨幣が必要なことは明白なことでしょう。そしてこの貨幣の購買力が高かったり、低かったりすれば自ずと人々が行う様々な取引が多大な影響を受けることになります。大きなインフレは国民の消費、生産計画を大幅に狂わせ、経済活動の阻害要因になります。また過去の経験から、通常好況時にはインフレが起こり、不況時にはデフレが起こることが知られています。現在の日本はまさに不況でデフレが起こっています。

以上、三つの主要な経済指標の関係を考察し、その説明の枠組みを与えること、また政策の指針を与えることがマクロ経済学の大きな課題と言えるでしょう。上に挙げた経済指標は、いずれも一国経済に存在する様々な取引主体や組織が経済活動を行った結果をまとめ上げた指標、すなわち集計された経済変数(Aggregate Economic Variables)と呼ばれます。マクロ経済学は集計された経済変数の相互依存関係について考察する経済学の一分野と呼んでもよいでしょう。

2.マクロ経済学の特徴

では、経済をどのようにとらえるか、どのように考えるか、そしてその考えをどのように評価するか、という観点からマクロ経済学の特
徴について説明してみましょう。さらに経済学は人々の誘因を考察するものである点についても説明しましょう。

・経済をどのようにとらえるか?

一国の一年間の経済取引の結果を複式簿記の要領で整理することができます。これは昨年までの経済企画庁が作成している国民経済計算と呼ばれるものです。先出の国内総生産はこの国民経済計算の一部として現れます。ある経済主体が支払いをすれば、必ず他の経済主体が受け取りをしているはずです。この性質に着目して一国に関わる経済取引を主体および、取引された対象物に応じて分類し、支払いと受け取りの対照表にまとめた社会会計が国民経済計算です。マクロ経済学はこの社会会計の結果を説明しようとするものだと考えてもよいでしょう。社会科学は一般に人間の行動を考察するもので、経済学もその一分野です。しかし、他の社会科学とことなる経済学の大きな特徴はこの社会会計という枠組みをもつことです。人間の行動についてどのような仮説を想定したとしても、経済学ではこの社会会計の原則に反する議論をすれば、それは確実に誤った議論になります。国民経済計算は、一年間の経済活動の結果を整理したものにすぎませんが、これを正確に理解するだけでも様々なことがわかります。

・どのように考えるか?

ものごとを説明するということは、「理論を構築する」ということになります。そして、経済学では「モデル」を構築し、対象となる経済現象を説明するということになります。なぜモデルを用いるのでしょうか?ものごとを説明するには仮説(仮定)を想定します。そしてその仮説に基づいて、それが導く結末を演繹します。経済学で構築されるモデルは人々の行動仮説、人々の行動環境についての仮説、そして社会会計原則を組み合わせた、仮説の総体です。その結果どのような帰結が得られるかは、その仮説の選定次第で大きく変わり得ます。対象となっている経済指標の観測結果と、モデルの演繹から得られる経済指標の動きとがさほど異ならなければ、そのモデルは説明力があるということになります。モデルの演繹から得られる結果と観測結果に大きな違いが認められたときには、仮説の選択を再考しなくてはなりません。この仮説の選択変更が小さい場合もあれば、大幅な場合もあり得ます。これがまさに、経済についての考え方の進化と考えられます。

ところで、モデル分析については、そのようなモデルは現実的ではないとか、単純すぎて現実社会の理解にならないといった批判がよくなされます。このような批判をする人はそもそも現実とは何かについての認識が欠如しているといえるでしょう。主観的に私たちが認識する現実とは、私たちが頭の中に想い描いている虚像にしかすぎません。例えば過去の経験から、あなたの友人のA君は借りたお金はきちんと返してくれる誠実な友人であるとあなたは考えていたとしましょう。これは「あなたにとっての」現実のA君です。しかし、あなたが考えている現実に基づいて100万円をA君に貸して持ち逃げされたとき、あなたは現実は考えているものと違ったと認識することになります。では現実のA君はどのような人なのか?結局それはわからないというのが、本当のところでしょう。できることはA君の行動についての仮説を自分の頭の中に想定しそれに基づいてA君との関わり方を自分で決めることです。これはまさに現実のA君ではなく、A君のモデルを自分の頭の中につくり、A君の行動予測を行っていることと同じです。私たちはこのような思考を無意識に行っているものです。自らの行動をより成果あるものにしたい人ならば、意識的に周りの反応などについてできるだけ客観的に分析し事をおこすことになるでしょう。失敗すればその原因をつきとめ考えを変更するはずです。モデル分析も本質的にはこれと全く同様なもので、様々な現象について意識的に思考するための手段であって決して現実ではありません。しかし、分析対象となっているものをうまく説明できないときに、何が原因なのかを着実に検討することができ、一層説明力のあるモデルが構築できればそれだけ分析対象となっているものの理解がすすんだことになります。また、分析対象となっているものについて議論しあうとき、どのような土台に立って話をしているのか、結論を導いているのかを考えるうえで無用な混乱や誤解をさけ、お互いの意見の違いがどこに起因するのかを確認することができます。モデル分析は一番はじめに述べたように「冷静に深く考える」という営みそのものであると言ってよいでしょう。

・考えをどのように評価するか?

先に述べたモデル分析が経済についての考察そのものであるわけですが、これをどう評価するかという問題があります。これは観察された経済指標の動きとモデル分析から予測される経済指標の動きとのあてはまり具合を統計学の仮説検定という手法を用いて行います。この分野は計量経済学と呼ばれています。この検定によって仮説が棄却されたときに、モデル分析の再考が必要になるわけです。計量経済学とマクロ経済学は非常に密接にむすびついているといえます。

・誘因システム考察としての経済学

「モデルで考える」うえで経済学は経済主体の行動仮説をおくことになりますが、その際常に念頭に置かれるのは、経済主体は利己的に行動するという基本的な人間観です。経済学の祖、アダム-スミスは利他心ですら利己的な人間の思考と矛盾しないことを説いていますが、近代経済学はこの精神を引き継いでいます。経済学では利己的経済主体がある経済環境に置かれたときどのような行動をとり、それがどのような社会的帰結をもたらすかを考えることになります。また逆に、どのような経済環境を作れば利己的経済主体の行動が社会的に望ましい帰結をもたらすかを考えることになります。個々の経済主体が活動する経済環境は、多数の取引者が存在する市場であったり、相対取引をする交渉の場であったり、会社内などの非市場的組織であったりします。これらは経済主体のとる行動をあるときには有効に働かせたり、逆にうまく活用できないようにさせたりすることがあります。経済環境は、経済主体の特定の行動を引き起こす「誘因システム」と考えることができます。この誘因システムの考察はミクロ経済学の大きな課題ですが、経済全体の活動を考察する際にも考慮しないわけにはいきません。マクロ経済学のモデル分析は誘因システムの考察という点で
ミクロ経済学と密接に結びついています。

3.日吉での学習

前節での説明からわかるように、近代経済学はマクロ経済学、ミクロ経済学と計量経済学が三つ巴になって成立している学問です。したがって日吉の1年次から2年次にに設置されている、マクロ経済学、ミクロ経済学、統計学をしっかりと勉強すること、そしてその理解の大幅な助けとなる解析学、線形代数学を学ぶことが不可欠です。

マクロ経済学に限ったことではありませんが、学習の上で重要なことは出てくる用語を一つ一つ正確に把握することです。経済学も数学もステップバイステップの積み重ねの上に成り立っています。また、数式が登場することは難しいわけではなく、数式に表されるくらい物事を単純化して考えていることの表れですから、その単純なアイデアや考え方を一つ一つものにすることが学習の一番の近道です。わからなくなったら一つ前に戻って用語やアイデアを再確認すればよいだけのことです。このプロセスを諦めずに行うくせをつけるようにしましょう。

もう一つ助言をするならば、余裕のある人はマクロ経済学の入門書を英語で勉強することをお勧めします。マクロ経済学で頻繁に出てくる経済用語は経済に関連する英字新聞やニュースを理解するのに非常に役立ちます。また、もともと英語圏で経済学は発達しているので、英文の入門書は非常にわかりやすく書かれています。どうせ勉強するなら一石二鳥をねらいましょう。

4.三田での学習

三田ではマクロ経済学に関わる関連分野の科目がいくつか提供されています。マクロ経済学の内容を中級程度に講義する「マクロ経済学I」、景気変動や経済成長に主眼をおく「マクロ経済学II」、貨幣や資産の取引に注目した「金融論」「金融資産市場論」「資金循環論」、「ファイナンス入門」、国と国との間での貨幣や資産の取引に注目した「国際金融論」、労働市場に注目した「労働経済学」などが挙げられます。いずれの科目もマクロ経済学の基本を学習した上で履修すると理解しやすくなります。また「計量経済学」も主にマクロ経済学のモデルを想定した統計分析を講義しているはずです。

三田での学習は皆さんの将来の進路にあわせたものであっても良いし、純粋に皆さんが興味を持つものを学ぶといういうものであっても良いと思います。日吉でのマクロ経済学の学習はそのための準備であると考え、将来を見据えた学習計画を立てるようにしましょう。

最後に蛇足ですが、もし学習途上わからないことがでてきたり、勉強方法に悩むようなことがあればどんどん先生に質問しましょう、ちゃんと答えてもらえなければ自分受けている講義の担当者だけでなく他の先生にも質問しに行きましょう。積極性が皆さんの大学生活を豊かにしてくれるはずです。

5.参考文献

書店の経済学コーナーを覗くと、数多くの教科書があり迷うことでしょう。どの教科書もおおよその内容は共通しています。自分の好みにあった教科書で勉強すれば良いと思いますが、いくつかのマクロ経済学の入門書を挙げておきます。

・「マクロ経済学・入門」福田慎一、照山博司著、有斐閣アルマ
・「マクロ経済学」(上、下)N.G.マンキュウ 東洋経済(Principles of Macroeconomics, N.G.Mankiw, Dryden)
・ Olivier Blanchard, Macroeconomics 2nd ed., (Prentice Hall)

中級の教科書としては

・「新しいマクロ経済学」斎藤誠、有斐閣

上級の教科書としては

・ Blanchard and Fischer, Lectures on Macroeconomics, (MIT Press)
・ D. Romer, Advanced Macroeconomics, (McGrowhill)

などが挙げられます。

読むのはなかなか大変ですが古典として、

・ J.M.Keynes, The General Theory of Employment, Money and Interest rate (London, Macmillan Press, 1936)

・ M.Friedman and A. Schwartz, A Monetary History of United States
1867-1960 (Princeton, NJ: Princeton University Press, 1963)

その他比較的読みやすい読み物として、アメリカ経済については

・ P.R.Krugman, Peddling Prosperity, Norton 1995

日本経済については

・ 吉川洋、「高度成長」読売新聞社

をあげておきましょう。