アメリカで考えたこと

99年12月多摩クラスでの講演

若さ

アメリカはいろいろな点で若さを感じる国でした。 言葉をかえると、若さというよりは子供っぽさということです。 ただ、日本ではどちらかというと悪い意味でつかわれる「子供っぽい」 という言葉はアメリカでは逆にいい意味でつかわれていることは 最初に指摘しておきたいと思います。

若さ、子供っぽさという点では、 まず何よりもおもしろい人達が多かったことを思い出します。 これはエンターテイメントの精神につながります。 次に、危険を承知しながら、可能性にかけようという感覚のようなものを感じました。 安全指向でいるかぎり現状を維持することは簡単ですが、 新しいものをつくり出すことはむずかしくなります。 アメリカでは、失敗する可能性も大きいけれど、 成功したときにとんでもない報酬を得る可能性があります。 これを保証する思想が自由主義だろうし、 実務上重要になるのが何事にも手続きが簡素であること、 国民性としてはブランド指向というよりも価格指向が強い経済観念と思えます。

エンターテイメントの精神

アメリカ人の特徴としてまずまっさきに思いつくのは楽しい人達ということです。 知らない人どうしでも気楽に「ハーイ」と話しかけます。 ジョークが好きで、笑っていること、楽しむことを何よりの喜びとしています。 どんな国民でも同じでしょうが、 アメリカ人には強くそのように感じさせるものがあります。


不安定さに基づく成長

「向上心の強さ」というのが若さから一番感じられることです。 現状よりもいい状態を目指したい、他人とはちがう何かを勝ち取りたいという 向上心はアメリカ人の多くがもっています(というイメージがある)。

自由、アメリカンドリーム、ロックフェラーセンター

これらの言葉から連想するのは表題にあることです。 建国の精神から当然ですが、アメリカはなによりも自由を尊重します。 もともとは政治的な根拠に基づくものであったかもしれません。 義務を果してさえいれば何でも許されるという風土は、 大きな可能性にかけるチャンスを人々にあたえたような気がします。 伝統に規制されながら生きなければならない風土では、現状を 維持する力の方が大きく作用してしまいます。

みなが好きなことをするのだから、社会はきわめて不安定になります。 でも、不安定ということは何か新しいものをつくり出す源泉にもなります。 アメリカ社会は不安定さのコストを支払いながら、新しい可能性にかけることを選んでいるようです。

この面に限らず、アメリカは安定よりも自由を重視する理念が明確です。 たとえば、4年ごとに大統領選挙をすることは政治的な循環を生み出すし、 その結果、経済の不安定さを引き起こすことは誰にも明らかですが、 そのコストを支払ってでも、大統領は国民が選ぶもの、国民が選ぶときには 候補者の考えをじっくりと聞くものという理念を徹底させることを選んでいます。

「不安定な社会」はそれだけを見ればよくないことのように見えますが、 そのコストを支払って何を得るかが明確であれば、 社会全体で安定と不安定とどちらを選ぶかを決めることができます。 アメリカはかなり意識的に不安定のコストを支払っているように感じました。

安定という言葉の意味を再検討する必要があるのかもしれません。 おそらく、安定という言葉には2つの意味があります。 一つは何も変化がないという意味です。 もう一つは何か変化があったとしてもすぐに秩序が回復されるという意味です。 日本で安定が強調されるときには、前者の意味での安定が考えられているように思えます。 変化が起きないように、伝統をできるだけ守るようにというのが日本人の考える安定。 それに対して、アメリカ人は常に変化を求めます。その代わり、秩序が攪乱されてもすぐに秩序を回復させるようなメカニズムを作ろうとしたようです。 政治的には自由を尊重する風土、経済的には市場機構こそが安定を回復させるメカニズムとして選ばれているんです。基本的に自由主義、小さな政府を求めていながら、 自由主義のいきすぎ、小さな政府の弊害がめだってきた場合には、反対勢力が 政権を握るようなシステムを作る。これがアメリカの政治ではないでしょうか。 変化があること、そのことによって社会の不安定が生み出されることには目をつぶりながら、 安定状態よりも重要な理念を実現できるようにするというのがアメリカです。

このようなメカニズムがあることによって、つねに安定を壊そうという力がはたらき、 その結果、危険は大きいけれど成功したときの報酬が大きい社会でありながら、 全体として世界に冠たる存在でいられる。 アメリカは、不安定さに基づく成長を選ぶ社会なんです。

理念を支えるもの:制度と国民性

いくら理念が明確になり、社会的な装置が整っても、 新しく何かを作ろうとしている人が慣習の力に負けるようなシステムでは アメリカンドリームを実現することはできません。たとえば、なにかをはじめようというときに役所の許可や免許が必要であるとか、面倒な手続きをたくさん経なければいけないのでは新しいことを始めるのは困難です。 アメリカでも役所仕事というのは、他の手続きに比べて繁雑で形式的であることが多く、 揶揄の対象になっていますが、日本にくらべればきわめて簡単に手続きをすませることができます。 アメリカではたいていの公的手続きは簡素だし、 ベンチャーに対してファイナンスする仕組みもできているので、 金融面からも新しい事業を始めやすいんですね。 事業を始める人には実績はありません。日本では実績を評価の元にすることが多いので、新規事業をはじめようとする人が、その事業を始めるための資金調達をなかなかできないことがほとんどです。 アメリカでは、実績よりも、その人の潜在能力であるとか、その人がもってきた試作品の善し悪しだけでお金を貸そうという投資家がたくさんいます。 もちろん、潜在能力の評価というのはあてにならないものですから、 投資に失敗することがあります。むしろ、失敗することの方が多いのかもしれません。

製品を受け入れる側の意識もベンチャーを育てるのに向いています。 アメリカの消費者はブランドイメージよりも品質と価格を重視する傾向があります。 実用性という点で同じならできるだけ安いものを買おうとします。 冬服は寒さに耐えるための機能がありさえすれば見かけは安っぽくてもいい。 ラジオはきちんと電波を受信して音を再生する機能さえあればよい。 このように単純なため、信じられないほど安い製品をよく見かけます。 外見や素材には気をまわさず、価格を安くすればアメリカの消費者は 歓迎します。高度成長期に日本製品が大量に輸出されたのはこういう国民性の おかげです。

どこの誰が作っているかではなく、製品がどのようなサービスを提供するかということと、そのサービスにかかるコスト(価格)だけが購買の判断基準になっています。

一番印象的なのは炊飯器でした。はじめてアメリカに行ったとき、アメリカにも炊飯器があるんだということにまず驚き、次にその型式の古さに驚きました。