金融危機を防ぐ政治的決断を訴える
金融監督政策研究会(経済学者・法学者グループ)
要旨
内外の金融情勢は、日本の不良債権問題の迅速な処理を迫っている。世
界的な株安、為替の混乱の連鎖が続く中、一刻も早く日本が国内金融市
場の不安要因を除去して、頑強なシステムを構築する第一歩を踏み出す
ことは、日本自身、アジア地域、また世界金融システムにとって重要で
ある。与野党の政治的な歩み寄りが早期に成立しない場合には、市場に
大きな失望感が走ることが予想される。マーケットや他国からせかされ
るのではない、先手を打つような、政治家の大胆なリーダーシップが必
要とされている。
政治的に中立な学者グループによる見解を示すことで、議論の収束の一
助となれば幸いである。われわれの主な主張は次のとおり。
第一に、政府・自民党案と野党三党案との間の距離は、喧伝されている
ほど大きくない。妥協は可能であり、また、それを迅速に行うことが、
日本経済はもちろんのことアジア経済や世界経済の安定化にとって極め
て重要である。
第二に、金融機関の破綻、もしくは実質的な破綻の処理については、将
来に禍根を残さないために、情報開示を徹底し経営者と株主の責任を明
確にするという原則を貫くことが必要である。従来の場当たり的な対応
をやめ、原則を貫く一般的なルール・法律をつくるをつくることが重要
である。特に、公的資本注入の条件として減資は不可欠で、減資が容易
に出来るような法制変更(*)が必要である。現在の「破綻前の資本注
入ルール」には重大な欠陥があるし、今年3月の一律資本注入は失
敗であった。
(*)減資を容易にするため、株主総会の議決を経ずに、またすべての
債務(ただし、劣後債権を除く)の支払いを継続することを条件に、現
行商法に定められた債権者保護手続きや社債権者集会を開かずに、減資
が出来るような特別立法が必要だ。
第三に、現在の日本長期信用銀行(長銀)問題については、上記の原則
を貫く処理を行うことが重要である。公的資金援助による長銀と住友信
託銀行との合併が唯一最善の選択であるとは考えられない。
本提言に関する連絡先。
深尾光洋(TEL, 34534511、大学) Email fukao@fbc.keio.ac.jp
伊藤隆敏(TEL/FAX, 57245808、自宅) Email ITOINTOKYO@aol.com
金融危機を防ぐ政治的決断を訴える
金融監督政策研究会(経済学者・法学者グループ)
深尾光洋(慶応義塾大学商学部教授)、世話人。池尾和人(慶応義塾大
学経済学部教授)、伊藤隆敏(一橋大学経済研究所教授)、岩村充(早
稲田大学アジア太平洋研究センター教授)、翁百合(日本総合研究所主
任研究員)、神田秀樹(東京大学法学部教授)、香西泰(日本経済研究
センター会長)、堀内昭義(東京大学経済学部教授)、星岳雄(
カリフォルニア大学サンディエゴ校助教授)。
詳論
1.政府案と野党三党案の共通点
政府案と野党三党案に共通する考え方は、正しい方向を向いている。
共通点はつぎのとおり。
(1)預金者は保護する。
(2)破綻した金融機関の処理には、預金者保護のため、また、責任のな
い第三者(他の債権者、借り手)に負担をかけないため、公的資金を導
入する。
(3)破綻金融機関の経営者責任を追及する。また、株主は残余価値(マ
イナスの場合はゼロ)しか受け取らない。
(4)債務を将来にわたって返済できる見込みがある真に健全な借り手を
保護する。
(5)金融機関の連鎖破綻を防ぐ。
われわれは、こうした考え方を支持する。
2.政府案と野党三党の相違点
政府案と野党三党案の相違点は、考えられているほど大きくない。相違
点はつぎのとおり。
(1)破綻していない金融機関に対して、政府による資本注入をするかど
うか。するとすれば、どのような条件か。
(2)金融機関一般、特に資本注入する金融機関の情報開示をどこまで進
めるか。
(3)破綻した金融機関の処理を進めるにあたり、政府案は金融管理人に
よる管理とブリッジ・バンクの二段階、野党三党案は直接清算ないし国
有化に移行する一段階論である。
特に(3)の違いを総称して政府案をソフト・ランディング、野党三
党案をハード・ランディングと言うことがある。しかし、詳細を議論し
ないソフト・ランディングか、ハード・ランディングかという観念的な
議論は生産的ではない。後述の項目3と4で大銀行の破綻処理を考える
ときに具体的に指摘するように政府間と野党三党案の事実上の違いは大
きくない。最重要原則を崩さない形での妥協は可能であり、重要である。
3.大銀行の破綻処理
大手金融機関の破綻、あるいは実質的な破綻に際しての処理は、次の原
則を遵守しつつ、営業を停止することなく、そのためには公的資本注入
をしてでも、出来るだけ早い処理を行うことが望ましい。
[原則1]公的資金導入の前提としての減資
[原則2] 情報の開示
[原則3]預金者、一般債権者の保護
[原則4]構造改革との整合性確保
[原則5]金融検査・監督体制の信頼性確保
これらの原則については、次の項目4で詳述する。
検査により、債務超過と判定された金融機関は、直ちに公的当局の管理
下に入り(これが、与党案のように金融監督庁の選任する金融管理人か
、野党案のような国営化かは、実質的にそれほど差はない)資産の分離
、売却がおこなわれる。また、債務超過ではないにしても、不良債権の
増大などにより自己資本が著しく毀損され、またマーケットの信頼を失
うなど、債務履行に必要な流動性の確保に懸念が出た金融機関は、たと
え債務超過認定がなくても、あるいは債務不履行が起きなくても、公的
な関与が必要になる。特に大手金融機関の場合には、システミック・リ
スクを未然に軽減することは重要であり、取引を停止して清算手続きに
入ることなく、預金支払いや債務履行を継続しつつ処理することが重要
である。
こうした大手金融機関の業務を継続したままでの破綻処理を、「破綻さ
せない」とよぶか、「実質的な破綻」と呼ぶかは本質的なことではない
。「破綻」がどのような事態であるかを定義せずに、「破綻」を論じる
ことは生産的ではない。この処理について、資本注入も一つの選択肢で
ある。
4. 金融機関の破綻処理を貫くべき原則
[原則1]公的資金導入の前提としての減資
公的資金導入にあたっては、経営責任と並んで株主責任を問うことがモ
ラル・ハザードを防ぐ意味で絶対必要である。特に、破綻以前の公的資
金導入については、減資と経営陣の大幅な刷新(原則として全役員の退
陣)、組織・人員のリストラを条件にする必要がある。与党の対処案で
は、長銀への公的資金導入にあたって事前に減資させる旨の記述がない
のが不満である。(9月5日朝刊の報道によると、自民党が長銀
の減資に前向きの検討を始めたという。これは正しい方向への一歩であ
る。)公的資金無しでは自力で不良債権の処理ができないのであれば、
実際上債務超過と見るべきではないか。そうであれば、きちんと減資を
した上でないと資本注入すべきではない。
野党案では、破綻前の公的資金導入については認めない立場をとってい
る。われわれは、徹底した情報開示、大幅ないし100%の減資、経
営を確実に再建できる展望のある経営改善計画の実行、経営陣の刷新、
などの厳しい条件をつけた上でこれを認める様に譲歩を要請する。また
、与野党合意のうえで、実質的に破綻した(実質的に債務超過か、その
状態に近く自力で自己資本の調達が不可能な)金融機関については、株
主総会の特別決議や債権者保護手続きを経ないで、大幅ないし100%
の減資ができるような特別立法を行うよう強く、要請する。(ただし、
債権者保護手続きを取らなくても、一般債務については履行を継続する
ことを明記する。)
また、債務超過になって破綻した金融機関を処理する場合には、劣後債
務の切り捨てを明確化すべきである。現在の劣後債務は、破産ないしは
更生手続きの開始が劣後状態発生の条件(劣後状態発生事由)となって
いる。従来の破産や更生手続きは、原則として債務の支払いを停止する
ため、支払いの継続が不可欠な預金受け入れ金融機関には実際上適用で
きない。劣後債務は自己資本比率規制上の自己資本の補完項目(
Tier II 資本)として扱われており、金利も一般債務より高いにも係わ
らず、法的整理が行われない従来型の金融機関の破綻処理方式では、劣
後債権者も一般債権と同様の債務と扱われてしまう。劣後債権者は金融
機関の破綻処理においては、相当の責任を求められなくてはならない。
そのための特別立法を行うべきである。
[原則2]情報の開示
破綻処理にあたっては、恣意的な政治介入や当局による過度に裁量的な
法律の適用を防止するために、徹底した情報開示を進めることが不可欠
である。特に金融機関による公的資金の導入の申請にあたっては、分類
債権の金額や過去の倒産確率についての情報、大口不良債権、特に実質
的に支配している関連会社の詳細な財務状況などについて、情報開示を
求めるべきある。
与党による長銀への公的資金導入に関する説明(国会答弁)のなかで、
情報開示に否定的な答弁が目立ったが、これは好ましくない。野党案の
ように積極的な情報開示を行うべきである。政府や金融監督庁による個
々の銀行、金融機関に対する精査が人々の信頼を回復するためにも、情
報開示を積極的に進める姿勢が必要である。
[原則3]預金者、一般債権者の保護
政府は、大銀行について直ちに清算はしない(破綻させない)という。
一方、野党案は、例外を除き原則清算である。大銀行については、取引
関係が膨大かつ複雑で、また清算手続きに時間がかかるなどの難点があ
るため、実質的な一時的国有化ないし公的管理、真に健全な相手との合
併などの手段を使うべきである。この点で野党の譲歩が欲しい。しかし
、例えば、大銀行のデリバティブ取引(想定元本)の大きさを、「破綻
」させないための「説明」に使う政府答弁は納得できない。破綻させて
も、「清算」せず、政府の管理下で支払を継続することは可能である。
「破綻する(させる)」ということと、「清算する」ということは同義
ではない。
われわれは、Too Big to Fail (破綻させるには大きすぎる)とい
う原則に反対であるが、Too Big to Close (清算するには大きす
ぎる)という原則には合理性があると考える。
デリバティブ取引は、通常の場合、契約時点では想定元本に比較して、
はるかに小さい信用リスクを発生させるだけである。また、取引の一方
が破綻した場合でも、相互間で締結した多数の取引契約の損益をネット
アウト(相殺)して、その差額だけで清算・決済する契約を結んでいる
ため、見かけの想定元本に比較すれば信用リスクは大幅に小さいといえ
る。
精査の結果、もし大銀行が債務超過ならば、直ちに金融当局の管理下に
置き(「破綻」)債権・債務の縮小(債権の売却・回収)に努めるべき
(「閉鎖・清算」ではない)であるが、デリバティブ取引については、
当局が取引の継続を宣言して継続したり、合意が得られれば、デリバテ
ィブ取引全体を健全な金融機関に譲渡したり、一括して損益の純額(損
失だとしても、想定元本よりはるかに小さいと考えられる)で清算すれ
ば、大きな問題は生じ得ない。
[原則4]構造改革との整合性確保
公的資本注入は、銀行業全体の生産性・効率性の回復という、真の意味
での金融機関の健全化が達成されるために不可欠なリストラ(およびそ
の手段としての合併や買収)を可能にするような方法で行わなければな
らない。
これまで日本の金融システムは、銀行部門優位の間接金融システムとい
う性格のものであったが、こうした金融システムのあり方は、もはや日
本経済の現在の発展段階との適合性を欠くものとなってきている。資本
市場をより積極的に活用する形の新たな資金仲介チャネルの確立が求め
られており、そうしたチャネルの拡大とともに、日本の伝統的な銀行部
門はますますオーバーバンキング(供給能力過剰)の状態に陥っていく
と見込まれる。すなわち、長期的・構造的には、伝統的な銀行業務を行
う銀行の数、従業員数が減少することが必要である。
それゆえ、資本注入が、注入を受けた銀行を短期的に生き返らせるだけ
のものであるならば、それは構造改革の方向とは反したものになってし
まい、銀行業全体の効率化や収益の改善にはつながらない。資本注入に
よって債務超過状態を脱し得たとしても、それだけでは真の意味で健全
性が回復されたことにはならない。一定以上の収益性を確保して存続し
て行ける見通しが立ってはじめて、その金融機関は健全であるといえる。
[原則5]金融検査・監督体制の信頼性確保
金融機関の検査、監督、破綻認定、資本注入決定は、一定の基準に基づ
いて、政治介入から独立に行わなければならない。本年3月に行わ
れた、十分な実地検査も行わずに大手銀行に一律に資本注入を行うとい
う誤りをくりかえしてはいけない。また検査も終わらないうちに、実質
的に「長銀が債務超過ではない」と発言するような監督庁長官の独立性
を疑う。それゆえ、監督庁による検査結果が他の金融機関からも信頼さ
れず、住友信託銀行は検査後独自に査定を行う(と伝えられている)の
ではないか。また大蔵省金融企画局、金融監督庁、預金保険機構、金融
危機管理審査委員会の相互関係と責任関係は複雑で、明確ではない。誰
が(どの機関が)、どこまで決断する権限をもち、その結果について責
任を取るのかを、明確にすべきである。
野党案が提案するほど現在の仕組みを全面的に変更する必要はないかも
しれないが、政策判断の責任体制を明確にするとともに、失墜した日本
の金融監督体制に対する信頼を取り戻すためにも、金融検査・監督体制
とそれを指揮する組織のトップの両方に大きな変化が必要である。与党
からの積極的な提案が欲しい。
5.より強力な金融監督権限の必要性
金融機関に対する信頼を早急に取り戻すためには、現在よりも強力な金
融監督、金融問題処理の権限が必要である。大手金融機関の連鎖破綻の
ようなシステミック・リスクを防ぐためには、場合によっては、銀行株
主の権利制限(たとえば、株主総会を経ない減資決定)も必要になる。
これは、現状では銀行が金融サービスの中核にあり、大きな公共性(銀
行の機能がさらに損なわれると経済全体に深刻な影響を及ぼしかねない
)を持っていること、預金保険機構や日銀による信用供与などを通じて
、公的な制度の支援を受けていることに対する見返りとして当然である
。もちろん、銀行株主の権利制限の発動を決める委員会の中立性、その
決定の基になる原則の明示と適正な補償、情報公開などが重要となる。
また、銀行株主の権利制限という重大な決定を行う金融監督システムは
、厳正中立なものでなくてはならない。資本注入を審査する委員会(現
存の金融危機管理審査委員会、あるいは野党案の金融再生委員会)は、
政治の影響を排除しうる強い独立性を持った決断を下せるようになるこ
とが必要である。組織改変を行ってでも、法律的な独立性の担保と、新
たな人選(たとえば金融危機管理審査委員会委員は日本銀行政策委員と
同程度の独立性と兼業禁止が望ましい)が是非必要である。与野党の早
期の妥協が望まれる。
6.長銀問題と、いわゆる「破綻前の資本注入」
これまでは「経営が悪化していない」、かつ「破綻する蓋然性が高いと
は認められない」金融機関に資本注入することを目的に、預金保険機構
の中に金融危機管理勘定を設けている。(3兆円の拠出国債と
10兆円の政府保証枠の計13兆円。)この勘定が設けられたときから
、健全な金融機関ならばそもそも資本注入は必要ないのではないかとい
う原則的な批判があった。資本注入のわずか半年後に長銀の経営困難が
表面化したことは、「経営が悪化していない」、かつ「破綻する蓋然性
が高いとは認められない」と認定した3月の審査の甘さが証明され
たことになる。さらに、3月の横並びの資本注入では、金融危機管
理審査委員会は厳格な審査を行わず、単に自己資本比率規制をクリアす
ることを支援しただけとの批判を受けているが当然である。
また、今回の長銀問題では、資本注入をしなければ破綻して、金融市場
に混乱を引き起こすという論理で(システミックリスクの未然防止)資
本注入を正当化しようとしているが、前回の資本注入の論理との整合性
を欠く。
減資を行って株主責任を問うことが、資本注入の大前提であることは既
に述べた。政府・自民党が、長銀問題の処理にあたり、住友信託銀行と
の合併にこだわる一つの理由は、現行法のもとでは減資が実際上非常に
困難なため、合併比率の決定を通じて実質的に減資を行うことを目指し
ているためと考えられる。しかし自己資本が大きく毀損した状態で合併
に応じてくれる(吸収合併をしてくれる)金融機関は現れるはずもない
。そこで合併のために「破綻前の資本注入」という本末転倒した提案が
なされている。(資本注入してからすぐに合併では、注入された資本は
、実質的に補助金となり、破綻した金融機関への資本注入、17兆円
分の資金の性格に近いものになる。)そして、無原則な資本注入が計画
されていると、野党に厳しく批判されているのである。つまり減資手続
きをためらうために、銀行危機への対策が自縄自縛に陥っているのであ
る。正しい解決法は、項目5で述べたように、銀行の公共性に鑑みて、
公的に関与せざるを得ない金融機関については、減資を行えるようにす
ることである。早急に、金融機関の減資に係わる特別法の立法を、与野
党双方に要請したい。これが、長銀処理の第一歩である。
きちんと減資が行われ、リストラが行われたうえで、公的資金が注入さ
れれば、「合併」にこだわることなく、迅速に買い手を見つけることが
出来よう。いったん公的管理下に置いたものを民営化するためには、一
番高いオファーを出した健全な金融機関に売却すればよい。これは、与
党案の金融管理人の役割でもあり、野党案の金融再生委員会の役割でも
あり、共通である。また、スウェーデン型の金融危機管理でもおこなわ
れたことである。これが、われわれが、「公的資金援助による長銀と住
友信託銀行との合併が唯一最善の選択であるとは考えられない」と主張
する理由である。
7.政治家諸氏の、迅速かつ勇気ある決断を望む。
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